Fr.29.03.2013. Johannes-Passion an der Herderkirche zugehört. Es war so berührend...
聖金曜日(Karfreitag)の今日、ヘルダー教会へヨハネ受難曲を聴きに行ってきました。
18時開演で、17時35分頃教会に着いたけれど、一抹の不安が当たって、教会の前には行列。ようやっと入り口までたどり着くと、もう席はほぼ埋まっているらしかった。それでも、幸いチケットが手に入って、2階に空いている席を見つけることが!席についてしばらくは身体がぽかぽかしていて、コートを膝に掛けていたけれど、途中からかなり寒くなってきて、再びコートを着ての鑑賞。かなり残念だったのは、私の席からは、演奏者の姿は合唱の後列の人達以外ほとんど見えなかったこと。しかし、その分、大変集中して聴けた、とも思います。
まず始めに気付いたのは、小さな事ですが、普段オペラの公演に行き慣れている為、演奏が始まっても(照明が)暗くならない。そこにいる人達の姿が見える事で余計に、皆が同じ空間で全身全霊、音楽にそして物語の流れに聴き入っている、と感じられた。
本来歌詞の載ったプログラムも用意してあったようだけれど、もう数が足りなかったとみえて、私は自分で予めインターネットで見つけて印刷してあった歌詞+日本語対訳を手に鑑賞。本当はもっと用意周到に勉強して聴くべきなんだろうけど・・・。それでも、自宅で一度通して読み、もう一度手元の歌詞・対訳と時々照らし合わせながら聴いたのは自分にとって良かった。
一つ一つあげるときりが無いけれど、
特に心に残った事を自分の為に記録しておきたい。
- とにかく美しい音楽。しかし、改めて、とても悲しく残酷でもあり、宗教深く、そして、人間の有り様や心情、弱さ、等をも表現する音楽だ、と気付いた。そして、今回の感動が今までになく大きかったのは、やはり、ドイツ語が自分にとって日常の言語になってきているのもあると思う。
- ペテロが「お前はイエスの弟子か」の問いに違うと否認した後、イエスの言葉を思い出して泣く、そして罪の苦しさを歌うアリア、その後に続くコラールもなんとも心の様を表していて、揺さぶられた。
- イエスが鞭打たれる場面では、本当に鞭打つ音が音楽から聞こえてきて、痛々しい。
- バスの「急げや、悩める魂よ、「いずこへ」のアリアで何度も合唱からも管弦楽、通奏低音からも「どこへ」のフレーズが聞こえてくる箇所は実に印象深い。
- イエスが母と対面し、彼女をヨハネを委ねる場面、そして、その後のコラールで「彼は最期まで全てに気を配られた」と歌われると、もうこの辺りから、涙腺がうるうる。
- 全てが成し遂げられた”Es ist vollbracht"のイエスの言葉、アルトのアリア、そして、イエスが頭を垂れ、息を引き取られた、という場面は、実に緊張で息を呑む思いで聴いていた。特にこの箇所で、そして、今日の演奏の全体にわたって、「間」の取り方が絶妙だったと感じた。 もしかしたら、演奏の事情も多少はあったのかも知れないが、その音の無い数秒間が、緊張感を高め、また想像力を掻き立て、次の音楽をも引き立て、などと、ものすごく大きな効果を与えていたと思う。
- 全ての演奏が終わった後、満席そして立ち見でも埋まっていた教会内の誰も身動きもしなかった。数秒間の沈黙の後、鐘がしばらく鳴り響いた。それが止むと、皆自然に席を立った。
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